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音楽が、暇つぶしと豊かな心を育む。

僕の世代は拓郎、陽水である。

反戦フォークソングど真ん中が中学生であった。

だからこの世代はほぼ誰でもギターコードくらいは押さえられる。

初めての作詞作曲が19歳1974年。

『5月になったら』というAマイナーで始まるフォークソングだった。

以来、5年ぐらいの間に20曲くらい作り、

ヤマハのポップスコンテスト(ポプコン)に応募もした。

恐れ多くも中島みゆきと同じ時だったが、見事に第一次審査で落ちた。

時間は経過して3年前。

『GS風 君がいた渚』という曲を作りyoutubeにアップした。

全く反応がなかった。

さらにこりずに高校時代の友人5人とオヤジバンドを結成して2年前にライヴをやった。

これは、あらかじめ同窓会を企画してそのアトラクションとして演奏したので

30人ほどの観客が来てくれて(すべて同級生、当たり前だが)盛り上がった。

コロナ禍の昨年11月には池袋の音楽スクールMTB主催の発表会で2曲演奏、歌を歌った。

で、

昨年、所沢の自宅の一部を改装して「cafe&bar」を自分で施工して作った。

そして今年、八ヶ岳のログハウスをに音響設備を入れて「studio」を作り、

ライヴを始めようと思い立った。

ジャンルは、フォークソング、グループサウンズ、ボサノバの3種類。

例外もあるがほぼほぼこれに限定する。

これら3つのジャンルは偶然にも1960年前後に発生している。

フォークソングは、諸説あるが「ウッディガスリー」の「わが祖国」が最初と言われる。

(ボブディラン、PPMがその後メジャーになり日本ではマイクマキの「バラが咲いた」が最初のフ     ォークソングとされている。だが本当の反戦フォークは岡林信康、遠藤賢司、フォーククルセイダースあたり)

GSは1963年「スパイダース」の「フリフリ」が最初。

(その後タイガースなど100以上のGSが出現したが、1967年から2年間の活動でさっさと消えてしまった。いまだに生き残っているのは堺正章と三原綱紀、ワイルドワンズくらいか)

ボサノバは1958年にジョアンジルベルトの「chega de saudade」が最初とされ、その後妻のアストラッドジルベルトが「1964年に「イパネマの娘」で大ヒットを生む。この時私9歳。4年後の13歳中学2年で「イパネマの娘」とPPMの「a soalin」に夢中になりギターで覚えたことを覚えている。さらにサンタナに夢中になり「哀愁のヨーロッパ」をコピーした。

『カオルバッカーズ』という。

私、カオルが、作詞作曲ヴォーカル、そしてすべての楽器の演奏、これらをPCで編集し

ご覧にいれようというのだから恐れ多い。

上手な演奏、上手な歌をお聞きいただくのでは到底ない。

あくまで自分が楽しむことと「ボケ防止」という視点からお金は取らない。

いや、むしろドリンクサービスで聴いていただくというもの。

で、

音楽は「歌う」ことも「楽器演奏」もそれぞれ楽しい。

ただ、ぼくは欲張りなので、すべて自分で作り歌い演奏し披露することにした。

そこそこ頑張っています。

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