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続き・・・

6、則天武后(そくてんぶこう)・・・前述の三国志時代から約400年後の唐時代、ご存知の遣唐使

の時代に、中国の歴上唯一の女帝となった。則天武后が63歳の時だという。

この女性は、一言でいうと、時の皇帝を女性の武器を利用して王位につい

たということだ。美貌も才覚もさるこながら、人間ではできない鬼畜の行為もし

た。

ある日、自分が産んだ子供(乳飲み子)を寝かしつけてその部屋から人を

払い、ときの皇后をその部屋に呼び子供を抱かせ部屋を出たあと、自分が部屋

に入り実の子を殺し、先に入った皇后が殺したと見せかけたというのだ。そのこ

とが皇帝に知れると、皇帝は皇后を殺し彼女を皇后の坐につかせた。

7、袁世凱(えんせいがい)・・・1912年、清王朝を倒した革命家として有名な人は孫文だが、実は

初代大統領に任命されたのは袁世凱であった。

袁世凱は、孫文と多くの革命家が十数年に渡って作り上げてきた功績を盗み

取って大統領に就任したという。

袁世凱こそ、私利私欲で動く裏切りの専門男だったのだ。

しかし話はこれで終わらない。彼は大統領に満足せず、自らを「洪憲皇帝」と称し

即位する。大統領であれば自分が死ねば誰かがその椅子に座ることができるが、

皇帝であればすべての中華国民はその家臣であり、永遠にその栄華は続く。し

かし、さすがにこれには周囲の部下は納得せずわずか83日で皇帝の天下は終わる。

そして同時に袁世凱は死ぬことになる。

(つづく)

 

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中国の闇と光

『中国をつくった12人の悪党たち』石平著

 

久しぶりの人物伝で楽しかった。

この書には12人の悪党として中国人が登場する。

1、蘇秦(そしん)・・・春秋戦国時代(木現在5世紀半ば~221年)、秦・魏・韓・趙・楚・斎・嚥の7国が並立し

た時代、秦を除く6か国をまとめ上げて秦に対抗する連合軍を作った。これだけでは英雄

だが蘇秦の悪党たる所以は、まず最初に秦にプレゼンをしたことである。つまり、彼に

は政治的なイデオロギーなどはなく、ただ単に出世ができればよかった。そのためには

手段や常識、哲学も方針もない。

2、李斯(りし)と趙高(ちょうこう)・・・彼らはともに秦の始皇帝亡き後に秦を牛耳った総理大臣。李斯は、

始皇帝存命の時から始皇帝を補佐して秦以外の6か国を滅ぼすために、賄賂を駆使して

悪政を敷いた。趙高は宦官の出で、始皇帝の後継者を担ぎ上げて政治を裏から動かして

庶民を苦しませるような世を作った。

3、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)・・・かの有名な秦時代の戦士。話では項羽は楚の貴族で勇猛果敢な戦

士で、私も中国のドラマではこの項羽に強く魅かれたが、農民で武術が強いでもなく、

ただ悪知恵が働く劉邦が最後には勝利する。

4、王棗(おうそう)・・・前漢と後漢の間(紀元8年から15年間)、「新」という時代を作ったのが、この王棗

である。王様を看病することでついに自分が王様になったという、偽善者と言われてい

る。

5、曹操(そうそう)と孔明(こうめい)・・・ご存知「三国志」に登場する宿敵。曹操はわかるとして、なぜに

孔明が悪党かというと、劉備玄徳亡きあと、魏を滅ぼすために出征するわけだが、これ

は始めから無謀な戦であった。当時の兵力は義軍100万に対し蜀軍は10万程度だったら

しく、これは孔明自身も分かっていた。本来ならば蜀に留まり国を豊かにすることこそ

宰相たるものの役割だったものを、あまりに国主に忠実なため、出征したことが悪党と

して扱われることになったらしい。

(つづく)

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